2018年04月27日

らされたSさんが

には温度調節付きのウォーター・ベッドを持ち込む豪勢さで、周囲の目を見張らせた。
 こうした金持ちは、別に、制作に意欲を燃やすわけでもない。知り合った仲間を招いて、マリファナをたき、終日フワフワしている。
 レントが上がったのは、単純に需給の関係からだが、この連中が、それをなおのこと押し上げたきらいは否めない。十年前の五十ドルがいまでは五百ドルと、十倍にもなった。
 Sさんのロフトの持ち主は、同じソーホーでゴミ屋の元締めをしているイタリア系で、マフィァの顔役である。
 月末にSさんが家賃を持って行くと、「OK」と一言いって、それをポケットに突っ込み、受け取りも何もくれない。
 それでトラブルが起きないのは、彼のことをマフィアだと知、何をさておいても、期日までにきちんとレントの支払いをしているからで、もしそれを滞らせたなら、事情はおのずから別のものになるであろう。
 それがどんなふうのものであるのか。Sさんは、好むと好まざるとにかかわらず、知ることになるはずであった。

 私が訪ねた前夜、SさんとA子さんは、お湯を飲んでいたという。
 金が底をついたのはとっくの昔で、その日の昼、わずかに残っていたメリケン粉を水でとき、何も入らない“お好み焼き”にして食べてしまったあと、口に入れるべき固形物はまったくなくなってしまったからである。
 お湯を飲んでいるところへ、思わぬ救いの主が現れた。東京で、ニューヨーク在住の日本人アーティストの現代美術を一手に引き受けているM画廊の主人がそれで、Sさんの“オートバイ”を一つ、ぽんとキャッシュで買ってくれたのである。
 この“オートバイ”は、最近、Sさんがもっぱら手掛けている作品で、材料はそこいらにいくらも転がっているカードボード(ボール紙)である。倉庫街という土地柄だから、梱包《こんぽう》をといたあと、これがたくさん出る。
 作品の材料としてSさんがカードボードを選んだのは、それがタダだというだけのことであって、別の理由はない。
 そいつを思い思いの形に切って、プラスティックで糊付けする。その際に用いられるのがブリュー・ガンで、これを電源につなぐと、その内部で熱せられたプラスティックがどろどろに熔け、銃口のような先端から噴き出す。
 こうして糊づけされ、組み上げられて行くカードボードは、厚いといったところで紙だから、そのままでは、いかにも頼りない。  


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2018年04月27日

いた彼を、ダニーが物陰に呼

  途中、マリリンが出産の準備のため、実家のあるワシントンへ帰って行ったのは、出来事とはいえない。ダニーも、ウイリーも、T君も、トレーラーに持ち込んだ寝袋に守られて、ともかくも無事であった。


  マイアミに一行は入った。カーニバルで働く者はIDカードの携帯を義務づけられていて、T君もその交付を受けるため、警察署に仲間たちと出頭した。彼は、無言で、正面からと真横からの写真をとらせた。何か喋れば、彼が労働に従事することを許されない外国人であることが発覚するからであった。


  彼のボスは、T君が身許を証明すべきソーシャル・セキュリティ(社会保険)のカードを紛失したこと、目下、その再交付を申請中であることなど、答えなければならない必要な事柄を、もっぱら彼にかわって弁じ立てた。R氏は、マイアミに豪壮な邸宅としかるべき事務所を構えていて、その乗用車である七四年型のキャディラック・セダン・デビルは、あいまいな根拠に基づいてIDカードを警察に発行させることのできる、地元での彼のステイタスをシンボライズしていた。


  警察で、ウイリーがおびえていたのは、もう一つ、別の理由からであった。彼は、ある窃盗事件の容疑者としてフロリダ州警察から指名手配を受けており、彼の運転免許証は架空の人物の名義だったのである。


  だが、ウイリーのおびえも、思わぬ結末で解決することになる。


  新しい年が明ければやがて父親になるはずだった彼は、その年のクリスマスさえ迎えることができなかった。麻薬(THC)の常習者であり、賭博好きでもあった彼は、いつものように前借をR氏に申し込み、断られて、しつこく食い下がった。温厚というには程遠いこのボスは、彼を殴り倒し、同時に解雇を言い渡した。


  これを恨みに思ったウイリーは、R邸に刃物をかざして押し入り、夫人に襲いかかったところを、R氏のピストルで射殺されたのである。当局は、事件を正当防衛として処理した。


  その年のクリスマス・イブは、T君が生涯で初めて、犯罪に加担した日である。


  パーティの酒で酔っていた彼を、ダニーが物陰に呼んだ。「仕事がある。ちょっとこい」というのである。


  T君と、もう一人の白人を伴ったダニーは、ピック・アップ用のトラックを運転してガソリン・スタンドの裏庭に入って行った。そこには、一台のキャンピング・カーが駐車してあった。T君の果たした役割は、その車体をもう一人の白人とジャッキで持ち上げることであった。こうして盗んできたキャンピング・カーは、一行の駐車場に、新しい財物として加えられた。


  正月をオセチ料理で祝いたいと思い立ったT君は、ニューヨークに飛んで休暇を過ごし、ふたたび、マイアミの一行に合流した。その彼を待ち受けていたのは、警察がキャンピング・カー盗難事件の捜査に乗り出しているという情報であった。ガソリン・スタンドの裏庭からそれを盗み出すとき、たまたま目撃者がいて、三人組の犯人の一人は中国人らしい男と証言したのだという。


  ボスは、問題の盗品の処分を、三人に命じた。彼らは、それを湿地帯に運んで行って、数ある沼の一つに沈めた。戻って来た三人に、ボスが与えた教訓は、こうであった。


  「どうせ盗むなら、最新のを盗め」


  T君がマイアミで経験したもう一つのことは、例のオイル・ショックである。だが、ギャラクシー一五〇〇の、六六年型ポンコツを二百ドルで手に入れ、マリファナをくゆらせながら乗り回していたT君は、その燃料に不自由することはなかった。「パンクすれば他人の車、バッテリーが上がれば、これも他人の車」から、しかるべき部分を調達していた彼とその仲間にしてみれば、燃料の補給も、その伝で行けばよかったのである。


  「トラックのサイド・タンクが一番いいですね。何しろ五十ガロン入りですから。ボルトをゆるめると、滝の様に流れ出る——」と彼はいう。

  


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